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2007-09-08 Sat 00:00
1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場での”若人の祭典”の席上、戸田会長が青年に”遺訓とすべき第一のもの”として語ったものが、のちに「原水爆禁止宣言」とされ、学会の平和運動の原点となっている。
天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。 1957年 横浜 三ツ沢競技場 先日、少年少女部のドリームスクールに子ども達を連れて参加した。長崎で被爆し、その酷さ、悲惨さと平和の大切さを、地域内外の小中高等学校へ語り部として活躍されている錦宝会(男性)の方の講演があった。あまりにも悲惨な恐ろしい体験に、少年少女も顔色を変え、保護者共々真剣に聴き入っておりました。小さい頃読んだ ”はだしのゲン” そのまま。身は焼け、すでに息絶えている赤ちゃんに、乳を与えながら彷徨うお母さん、熱い、熱いと水を求め、水を飲んだ直後に亡くなっていく人々。このような話を聴きながら、戸田先生の原水爆禁止宣言を思い出した。本当にこんなもの(原爆)を使用するものは、”魔物であり、サタンであり、怪物であります”まったくその通りである。講演中、子ども達に色々私なりに説明をしながら、”絶対に人が人を殺し合う(戦争、殺人など)ことがあってはならない。お父さんやお母さんが生きている間は、絶対に許さない!させない!君達がこれから世界の大指導者になって、戦争や犯罪のない世界、地球を頼むよ!そのことをしっかり祈ってる”と心に誓う会合であった。 講演された錦宝会石橋様の短歌(一部無断で紹介。ごめんなさい) 被爆せし人人顔や手の皮膚が 垂れ下るのも知らず逃げくる 水水を水を下さい被爆せし 人は末期の水としらずに ひぶくれし人も牛馬も重なりて 被爆の街の橋脚うめる 原爆時阿鼻(あび)の地獄の太田川 今は沙魚(はぜ)釣る人で賑わう 世界が平和でありますように 合掌 |
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